趣味・生きがい

60代から始める俳句・短歌のすすめ ~第二の人生を彩る言葉の力~

趣味・生きがい

 

はじめに

六十代というのは、人生の大きな節目のひとつです。

長年続けてきた仕事を区切りとし、時間に追われる暮らしから解放される一方で、日々の過ごし方に迷いを抱える方も少なくないでしょう。私も例外ではありませんでした。

定年を迎えた直後は、自由になったはずなのにどこか手持ち無沙汰で、一日のスケジュールに空白がやたらと目立つように思えました。

これからの人生をどう埋めていけばよいのか、と問う気持ちが心に影を落としていたのです。

そんな時、朝の散歩で足を止めた瞬間に視界に飛び込んできたのは、道端に咲いた名も知らぬ小さな花でした。その静かな姿が、なぜか胸に深く残りました。

「この一瞬を切り取り、形に残すことはできないだろうか ― 」そう考えた時に心に浮かんだのが、俳句や短歌の存在です。

小さな勇気が開いた扉

還暦を迎えた頃、地域の広報誌に「俳句入門講座」の募集告知が掲載されていました。けれども、最初の私は半信半疑で、その案内を何度か読み返しては閉じました。「俳句なんて自分には縁のない世界だ」と思っていたからです。それでも心のどこかに小さな引っかかりが生まれました。

数日悩んだのち、思い切って申し込みの電話をかけたとき、受話器を持つ手がわずかに震えていたのを今でも覚えています。

あの日の小さな勇気こそが、退職後の私を新しい世界へと導く大きな一歩になったのです。

初めての句会と胸に残る一句

 

講座の初日、私は期待よりも緊張でいっぱいでした。年齢も経験も違う人が集まり、会場には不思議な緊張感が漂っていました。

私が提出したのは、拙いながらも精一杯詠んだ一句です。

「春の風 古い日記を めくる音」

自信は全くありませんでした。ところが講師の先生が「優しく時間の流れを表現できていますね」と評して下さったのです。

その瞬間、胸の奥が熱くなり、「もっと続けてみたい」という想いがはっきりと芽生えました。初めて自分の言葉が人に届いた感覚。それが私を作品作りへと駆り立てたのです。

そして何よりも驚きだったのは、他の参加者の作品を読む楽しさでした。春という同じ季節を題材にしても、ある人は「沈丁花の香り」で、また別の人は「卒業式の別れ」に季節を見出していました。自分では気づかない切り口に触れるたび、世界の見え方が豊かになっていく感覚がありました。

 

四季の移ろいと共に紡いだ作品たち

春の一句
孫と川沿いを散歩したある日、桜の花びらが風に舞っていました。
「散る花を 追いかけ笑う 子の声に」
この歌には、孫の無邪気な笑い声に春そのものを感じた、あの日の幸せを込めています。
夏の一句
炎天下の午後、扇風機の前で汗をぬぐいながら詠みました。
「氷水 窓辺に汗の 光ゆらぐ」
冷たい一口の水が、幼い頃の夏休みを蘇らせてくれました。体験がそのまま一句に宿った瞬間です。
秋の一句
山歩きの途中、赤や黄色に染まった落ち葉を踏むたびに音が広がりました。
「落ち葉踏む 音に溶けゆく 旅の道」
秋の深まりを感じながら歩いた静かな時間を、そのまま詠みました。
冬の短歌
大晦日、炬燵に入り妻とテレビを見ながら笑っていた時に浮かんだものです。
「炬燵にて 同じ番組 笑い合う 君と年越す 心ゆたかに」
何気ない日常も、言葉にすることで改めて大切に思える ― そんな気づきを与えてくれた短歌です。

悩みから気づきへ

始めたばかりの頃は、「とにかく上手な一句を」と焦っていました。辞書や季語集をひっくり返し、難しい言葉を探しましたが、不自然さが目立ちました。心が伴っていなかったのです。

そんな私に、ある先輩が「俳句は心のスケッチだ」と教えてくれました。この言葉は今も忘れられません。

それ以降、私は散歩や料理、孫との遊びの中で感じた小さな感情を言葉に残すようにしました。

例えば「孫の寝息が聞こえる部屋の静けさ」「夕暮れの革靴の影」など、平凡な日常にこそ豊かな題材があることを知りました。無理に美しい言葉を並べるのではなく、自分の心の動きに素直であること。それこそが、作品を生き生きとさせる方法なのです。

家族との距離を近づける短歌

言葉は家族の心をつなげてくれる力も持っています。

 

妻と短歌を交わす時間は、長年の夫婦関係に不思議な新鮮さをもたらしました。普段なら口に出さない感情も、歌に乗せると自然に伝わります。

妻が私に贈ってくれた一句を今も大切に覚えています。
「秋の空 あなたの笑みと なじむ色」
ふいに聞かされたその歌に、思わず赤面しながらも、心の奥が温かくなった記憶があります。

孫とも俳句遊びを楽しんでいます。「アイスクリーム ころんで落ちた 夏の午後」と詠んだところ、孫がすかさず「もっと食べたい!」と笑いながら応じてきて、リビングが笑いの声に包まれました。三世代に共通する遊びが生まれたことは、他の趣味にはない魅力です。

 

仲間と広がる人間関係

句会やサークルで知り合った仲間たちは、いまや私の人生を豊かにしてくれる大切な存在です。

お互いの作品を語り合ううちに、作品以上に人間性が伝わってきます。

特に忘れられないのは、ある方が詠まれた一句。
「冬銀河 逝きし友への 便り書く」
その句に触れた瞬間、言葉の奥にある深い感情が押し寄せ、自分の体験とも重なって涙がこぼれました。

俳句は芸術であると同時に、人の心を分かち合う道具なのだと改めて感じました。

言葉がもたらす心身の効果

俳句や短歌を継続することは、趣味を超えた価値があります。

頭を働かせることは脳の健康につながり、感情を整理することは心の安定をもたらします。

私は俳句を始めてから、以前よりも物忘れが減り、日常を注意深く観察する習慣がつきました。

気持ちの落ち込みがあった日々も、言葉にすることで不安が和らぎました。

また、オンラインでの交流は新しい人間関係を広げてくれました。世代や地域を超えた仲間と語り合うことは、孤独感を解消し、第二の人生を支える大きな力になっています。

コロナ禍と俳句

外出もままならない日々にも、俳句は心の支えでした。

窓から眺める空や、庭の草木の移ろいを詠むことで「今日を生きている」という実感がありました。社会が閉ざされる中でも、言葉を通して繋がることができました。

あの期間、俳句や短歌がなければもっと孤独を感じていたかもしれません。

これから始める人へのヒント

「難しそう」「才能がない」と構える必要はありません。始めるコツは単純です。

  • 気づきを書き留める:日常で心が少しでも動いた瞬間をメモする。
  • 五七五や五七五七七に当てはめる:無理に整えなくても、まずは形にしてみる。
  • 誰かと共有する:家族や友人に見せれば、それだけで作品は息づきます。

小さな一歩が新しい扉を開いてくれます。

おわりに

六十代から俳句と短歌を始めて、私は日々が大きく変わりました。

自然の美しさに敏感になり、家族との会話も深まり、仲間とのつながりも広がりました。

そして何より、自分の心に耳を傾け、日常に小さな光を見出せるようになったのです。

俳句や短歌は、人生をもう一度輝かせる道具でもあります。一句一首の短い言葉であっても、そこに込められた感情は深く、自分自身を新しい世界へと運んでくれます。

もし今あなたが「新しい趣味を探している」と思っているなら、ぜひ俳句や短歌を始めてみてください。ほんの一句から、あなたの人生の旅は再び彩りを取り戻すはずです。

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